第一話 月明かりのない祭/狐火の祭
 深い深い森の中。
 長い石段を登った奥に稲荷神社はある。
 数年前まで訪れる人は誰もいない寂れた場所だった。
 石段を踏みしめる。
 ざわざわ木が擦れあう音が響く。
 ここには忘れられない思い出がある。
 それは四年前、十六歳の夏の出来事だった。

***

「……あれ? 今日お祭りなのかな?」
 神社へと続く石段に無数の提灯(ちょうちん)が見える。
「綺麗な色の提灯だなぁ……」
 青緑色の光は星明かりしかない夜空に幻想的に映っていた。
 触れてみると、ぼうっ音を立て消えてしまった。
 なんて変わっているんだろう。
「ちょっと寄ってみようかな」
 私は気になり寄ってみることにした。
 冷たい風が森を揺らし石段を駆け抜けた。


「わあ……! すごい! 人がたくさんいる! 初詣に来る人もほとんどいないのに!」
 鳥居をくぐった先に広がる光景に私は思わずはしゃいだ。
 屋台もとても多くにぎやかだ。

「いらっしゃい! わたあめはいかが?」
 髪を茶に染めたお兄さんに声をかけられた。耳の赤いピアスが光る。

「ください! いくらですか?」
「はい、どうぞ! お代はいらないよ。ここでは必要ないんだ」
「え? でも……」
「いいからいいから! ほら、受け取って」
「ありがとうございます」
 私は少し釈然としないものの好意に甘えて受け取った。
「お金がいらなくていいなんて変わっているなぁ」
 わたあめを頬張りながら祭りを眺め歩いた。


「あ! もうこんな時間!」
 時計を見るともう夜の10時を回っていた。
 夢中になるあまり時間が経つのを忘れていたらしい。
「もう帰らないと……!」
 私は急ぎ足で来た道を引き返した。

「……あれ……? おかしいなぁ……?」
 そんなに奥まで進んだ記憶がないのにいくら歩いても鳥居まで辿り着かない。
 それになんだか頭がぼーっとして瞼が重い。
「……私……眠いのかなぁ……?」
 足元がふらつく。
「なんだかあのお店さっきも見たような気が……」
 じわじわ不安な気持ちが胸を押し寄せる。
 そのとき――

「いらっしゃい! わたあめはいかが?」
 声をかけられた。

 顔を見るとさっきわたあめをくれたお兄さんだった。

「……え? どうして……?」
「どうしたの? 幽霊にでもあったような顔をして。わたあめきらい?」
 まじまじともう一度よく見る。
 ぼやけた視界に赤いピアスが光る。
 茶髪に赤いピアス。間違いなくさっきのお兄さんだ。
「……あの、お兄さんさっきもわたあめくれましたよね?」
 おそるおそる聞いてみる。
「あれ? 初めて会うよね? もしかしてナンパ? お嬢ちゃんかわいいから、乗っちゃうよオレ!」
 はにかむお兄さんと対照的に私の顔は蒼白になる。
「もしかして体調悪いの? オレが看病しようか?」
 お兄さんが軽口をたたき続ける。
「……だ、大丈夫です……」
 私はふらふらしながら歩き出した。


 もうどれくらい歩いただろう。
 足は痛くて思うように動かない。
 頭が重い。瞼を開くのがやっとだ。
 時計の針はとっくに0時を回っていた。
 いったいいつになったら鳥居に着くのだろう。
 重い足を引きずり歩いていると

「いらっしゃい! わたあめはいかが?」
 また声をかけられた。

 一瞬体が硬直する。
 こわごわゆっくり振り返ってみると、わたあめのお兄さんがいた。
 赤いピアスは変わらず光る。

「どうしたの? 幽霊にでもあったような顔をして。わたあめきらい?」

「……っ!」
 何かが私の中で弾けた。

「どうして……!」
 私は逃げ出す。
「どうしてお兄さんがまたいるの!? どうして同じことを言うの!?」
「わたあめ、いらないのかい?」
 背中でお兄さんの声がする。
「どうしてこんなに歩いても鳥居に辿り着かないの!? どうしてこんなに頭が重いの!? どうして目が開かないの!?」
 溢れだした感情は止まらない。
 目に涙が滲む。
「……誰か……助けて……!」


「迷い込んでしまったのですね。こちらへ」

 何かに腕を掴まれ引っ張られる。
 白い背中が私を引っ張りぐんぐん駆ける。
 屋台の音が遠のく。

 やがて森の木々と私の息の音だけがする場所で立ち止まり
「このあたりでいいでしょう」
 私を掴んでいた腕が離れた。
 足がガクガク震える。息が苦しい。もう限界だ。
 こんなことをするなんて一体誰だろうと思い見上げると、そこには一人の青年がいた。

 切れ長の目に細く整った眉、柔らかくも妖艶な雰囲気がする口元。
 後ろに結っても足元まで伸びる長い艶やかな銀髪。
 真っ白な着流しに白い肌。
 ……なんて美しいんだろう。思わず息をのむ。
 提灯の幻想的な明かりのせいかまるで彼がこの世の人でないように思えた。

「手荒にして申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
 彼の顔が近づく。
「泣かせてしまったようですね……」
 白く細長い指が私の涙をすくう。
「……い、いえ!……大丈夫です……」
 気づくと頭も視界もはっきりしていた。
「よかった」
 青年は柔らかく微笑んだ。
 トク、と一度だけ胸が高鳴った。
「帰り道を案内します。困っていたのでしょう」
「!? いいんですか!?」
「是非」
 私を安心させるかのように優しく笑う。
 私はその優しい微笑みについていくことにした。


 青年の後についていくと不思議と迷わず鳥居まで辿り着いた。
「ここから帰れます」
「ありがとうございます!」
 私は深々頭を下げた。
「礼には及びませんよ」
 彼は目を細める。
 しかし次の瞬間真剣な顔になり告げる。
「二度と来てはいけませんよ。今日みたいな月のない夜には」
「……え?」
「さあお帰り」
 そして微笑みを浮かべそう言うのだった。